「バカだって思われたくない」から、流動的異年齢教育
とうとう、納車しました。マイバイク。
バイクってすごいですね、
インドア人間の頭の中を、
今度はどこに行こうかな??
にするんだから。
これからは、バイクに乗って流れ流れて色々な所に行ってみたいです。
流れて、といえば、流動的異年齢教育をしているアメリカのある学校を紹介している本に出会った。
ニューヨーク郊外にある、The New Schoolという全校生徒およそ30人の私立学校。
この学校なんと、学年や学級という概念がなく、幼稚園の年長から中学生までが皆で学んでいるらしい。
学校目標は、「自分を大事にする」「他人を大事にする」「ものを大事にする」の3つ147
あ、『学び合い』に通ずるところがありそう。。
子どもたちは、「コントラクト」という個別の習慣学習予定表をもとに学習を進めます。158
(コントラクトの特徴)
1つ目は、子どもによって学習の内容が様々であることです。158
「年齢」や「学年」といった子どもの「外」から学習内容がやってくるのではありません。あくまで子どもの理解に応じて子どもの「内」から学習内容が決定されます。175
イエナプランっぽいな…
2つ目は、様々な集団のサイズが準備されていることです。158
学習内容に応じて、学習集団の人数や質が多彩に変化します。176
3つ目は…「誰とするか」も配慮されています。160
(入学して)最初の1ヵ月は、サラという1つ上の女の子と活動(著者の娘の得意な折り紙)することが毎日続きました…「英語が話せなくても、友達と仲良くなれる活動が今はいいと思うの。また、最初はいろんな友達と遊ぶより安心できる友達ができるほうがいいよね」177
ここが、『学び合い』と異なるところかもしれない。
『』では、誰とやるか、何人でやるか、は子どもが決める。
それどころか、誰かとやるか、一人でやるかも子どもが決める。
でも、学年の初めなんかは、多少はメンバーを固定化してもいいのかもしれない。
そのメンバーで安心して学べる関係ができれば、間接的につながることができる人が増えるだろうし。。
よく西川先生が「アレンジするな」と投稿しているけれど、この辺について『』の本に書いてあるかな??
流動的異年齢教育には3つの意義があります。
1つ目は、自己肯定感が低くならないということです。188
New Schoolでの学習形態は、そもそも友達との比較がしにくくなっています…他者と比較した評価が少なくなると、「自分がどのようにできるようになったか」という、自分の中での比較に意識が向くようになります。189
これ、大事だよなあ。
ポートフォリオやろうかなあ。
2つ目は、社会性の発達を豊かにする意義です。
異年齢の子どもが、同じ活動をすることで、下の子どもは上の子にあこがれて、いわば見よう見まねで活動に参加し、その結果として、様々な知識や技術を獲得することがあります。また、逆に下の子どもとともに活動する中で、相手のペースに合わせることも自然とできるようになります。190
前の学校で導入した縦割り清掃で、まさにこれが見れた。
中学だと部活かな?
それ以外の場もつくっていきたいなあ。
(3つ目はカット)
日本的インクルーシブ教育は、「同じ・つながり」を求める程度が高いと指摘してきました。「障害のある子もない子も、できる限り皆と同じことをする」教育であり、かつ「障害のある子とない子が一緒に遊ぶ・学ぶ」というつながりを求める教育でした。このような教育では、インクルーシブ教育のハードルが高くなり、結果として、障害児の排除につながる可能性があります。194
従来の授業ではそうなるだろうなあ。
『』であれば、乗り越えられると思う。
でも、皆が同じ内容を学ぶ、だとハードル高いままだ。
「日本の学校は、できないことをできるようにさせる。だからそれがつらい子が出てくる」「New Schoolは、個々に合わせて楽しいことをしてくれる。でも、楽しいことだけしてたら大人にはなれへんねん。楽しいことしてたら、のびるやろ?その辺が違うねん」207
ただ、この学校の出発点は、
「誰だってバカだって思われたくない」だったらしい。
なんか思ってたのとちがった。。。