◆教学相長◆

2018年から教員生活スタート。日々の気づきや学びの備忘録。

昨日の追記

昨晩、西川先生がこんなことを書かれていた。(一部抜粋)

 

関係を絶つのは有効な折り合いの一つです。

ちなみにこれは『学び合い』に反しません。『学び合い』は集団の理論なのです。全員が全員に繋がる必要性はないし、不自然で非効率です。ようは全員が関係を絶つことは駄目だと、全員が理解した上での折り合いをすればいい。

 

manabiai.g.hatena.ne.jp

 

 

また、昨日紹介したなおたかさんも、近日のエントリーで、こんなことを書かれていた。(一部抜粋)

 

『学び合い』の授業は、子供たちが常に小グループを作り頭を寄せ合って学んでいる必要などないと考えている。聞くも聞かないも子供たちに任せる。子供たちには、必要な時には誰かに聞き、邪魔な時には上手に断れるだけの力がつくと信頼している。現時点でできない子も、段々とできるようになると期待している。

 

無理に学び合う必要はないが、でも、断ってばかりいると、自分が本当に困った時に損をする。その「折り合い」すなわち「自分はどれくらいの助けが必要で、それを得るためには、どれくらい受け入れる必要があり、自分はどれくらい付き合えるのか、他の友達はどうか」を経験的に学びながら、その許容範囲を広げ、一人でも多くの「同僚」を得て欲しいと願っている。中には、これが難しい子もいるだろうが、集団として「難しい子」の心情を慮れるようになって欲しいし、そうなった方が将来は幸せになれると確信している。

 

地獄の淵で救いの手を求めている子ような子がクラスにいないなら、「みんなハッピー!」「楽しい授業!」程度の御題目でもいい。けれど、今、多くのクラスで静かに沈み、苦しんでいる子がいるのだ。私自身もそういう子を「見ない振り」をしてきたし、今でも見捨ててしまいそうになる弱い自分を自覚している。愚かで罪深い私でも、子供たち全員に幸せになって欲しい。そういう願いをこめて「一人も見捨てない」という言葉を使っている。

 

nao-taka.hatenablog.com

 

 

今振り返ると、今年度「みんなハッピー」を掲げ(られ)なかったのは、地獄のふちで救いの手を求めている子がいたからかもしれない。。。